愛娘6歳児の入院で試した7つの暇潰し

検査入院してから三日目。
仕事の休みを取って病院へ。

妻から様子を聞いていたが、
久しぶりに会った愛娘は点滴により間接の痛みがかなり改善していた。

昨日、愛娘が妻に、
今日も友達ができなかった。
と話していた事が気になっていた。

というのも、同じ部屋には中学生しかいないので、
6歳で保育園児の愛娘には少し厳しい環境だった。

そこで色々と暇潰しグッズを家からもってきたり、買ってあげることにした。

(1)ベネッセのこどもチャレンジは凄く役立った。
ワークブックをやることで寂しさをまぎらわす事ができているようだった。
また、普段使っているものだから安心するようだ。

(2)病院の売店で買った間違い探しの本はかなりはまってた。
病院の売店には時間潰し系の本がやたらとある。

(3)月刊誌の小学一年生(愛娘は保育園年長だが。)も割りと喜んだ。

そして、面会時間が終了し、お別れの時はまたもや号泣。
相変わらず辛い時間だ。
次回行く時までに本を買って行こうと思った。

その後、泣き続けて看護師さんに連れられて、
ナースステーションでドラえもんのDVDを見せてもらって落ち着いたらしいと。

検査入院してから1週間後、
妻は仕事を休み続けてくれて毎日面会していたが、
自分にとっては久しぶりの愛娘との面会。

病室を変えてもらい、
同世代の3人の子供がいる部屋になり、
周りの子供とも仲良くなっていて、
少し安心した。

プレイルームでは既に後から入院してきた子供に色々教えている様子を見て、
適応力がある愛娘に一安心した。
少しでもメンタル的な負担が減ったことが嬉しかった。

前回面会後、
三省堂のこども国語辞典と小学館のこども百科事典を購入して持っていった。

(4)小学館のこども大百科

すごく気に入った様で、その後退院まで活用できた良いツールだった。
花火、昆虫など100-200くらいのテーマで大人も知らない様な色んな内容が書かれていて、熱心に読んでいた。
写真がたくさんあるので、楽しいみたい。
暇潰しというか普段でも愛用する本となった。
5000円近くしたが、その価値はあるおすすめの本。
もっとも、この時、愛娘が最も気に入ったテーマはおばけとお金だったが(汗)

(5)三省堂のこども百科事典
さすがに入院中にはしんどい内容だったようだ。

字だらけのページ構成なのと、
50音順で並んでいる語彙を探すのに、
苦労していて、途中で嫌になった。

愛娘は五十音は理解しているが、
同じ「さ」の中でも多数語彙があるため、二文字目、三文字目を五十音で探すというのが理解不能だった。

(6)パラパラマンガ

作ってあげると非常に喜んだ。

上記小学館のこども大百科でアニメーションの項目を見ていて思い付いたが割りと成功した。

自分も作ると言って試したが、さすがにうまくいかず、悔しがっていた。

スマホのyoutubeでどこかの高校の美術の授業で作ったパラパラマンガの映像を見せてあげると喜んだ。

(7)○×ゲーム

教えてあげたが、負けず嫌いの愛娘には血圧があがりそうで途中でやめた。

6歳児の入院生活で子供が暇するかどうかは親のアイデア次第だなあと思った。

普段なら投げ出していただろう本も、
他に選択肢のない状態の入院生活なので、
子供にとっても受け入れやすかったのだろう。

親として教育したいが、
普段はおもちゃに負けて聞き入れない様なものを渡すには、
実は入院は良い機会なのかもしれない。

そして、本日のメインである主治医からの検査結果の説明の時間となった。

6歳児入院+初めて親元離れる=号泣

1週間の検査入院が始まった。

6歳にして初めて親元を離れて一晩を過ごす。
※保育園行事除く
※入院した病気が20時までの面会と決められていて、親でも泊まれない。

パパとママと離れたくない。
なんでそんなことするの?
何も悪いことしてないのに。

愛娘はお別れの時に泣きじゃくり、
相当なハードルだったようだ。
こちらも病気の可能性のショックと愛娘の様子にさらに辛い気持ちになり、涙が溢れる。。。

自分の無力さを痛感し、
やるせない気持ちになるが、
今は先生を信じて言われるままにするのが最善と言い聞かせた。

逆にこの機会に親離れさせるのも一つだとポジティブに考えて言い聞かせた。

妻と今後の生活、面会について、お互いにの仕事について相談しながら帰路につく。

辛いところだけど、
やはりこういう時でも1週間も休みを取ることはかなり難しい。。。
それでも平日に2日休みを取ることを決めて、
通院することにした。

検査入院初日、同じ病気の3人の先輩と共に同じ部屋に入った。
愛娘は最年少6歳で、他はみな中学生以上だった。

長い闘病生活をするんだなと実感した。
隣では倦怠感の症状が出ていて、
学校生活に支障が出ている話を聞いた。

長く夢描いていた愛娘の教育に関する理想像が崩れる様な気分になった。。

小学校で海外旅行に3回連れていく。
一度目台湾か韓国に連れていった後、
文化の違いや歴史の重要性を話し、社会の授業や語学の授業の大切さを説き、2度目の海外はどこに何しに行きたいかを決めさせ、僕たち親に何故そこに行きたいかを熱く語り、行き先を決めたいと思ってた。
3度目は弟に同じ事をさせたいと思ってた。

描いてた未来は不可能ではないが、
難易度が上がったのだと思った。

高校では留学させたいとか思ってた。

たぶん難しい。

現実を受け入れるにはまだ時間を要する。

愛娘の号泣を背に面会時間の制限を羨みながら、就寝した。

次の日も同様だった。。

抗シトルリン化ペプチド抗体→即日検査入院

大学病院での検査。
複数の種類の検査後、待合室。

先程まで注射で泣いてたと思えないはど、
無邪気に遊ぶ愛娘。

先生からの説明を待つ僕たち夫婦。

時間にすると15分くらいだったと思うのだが、
その時は何時間にも感じるほど長く感じた。

病気であるはずがないと信じたかった。

そして、先生に個室へ呼ばれる。

はじめて会うのにどなたかがわかった。
名札を見て確信した。
なぜなら事前にネットで検索した時に
小児リウマチ学会のページで御名前を知ってたから。

小児リウマチ!!

瞬間的にそう思った。
色んな説明をいただいたがあまり覚えていない。

抗シトルリン化ベプチド抗体

この意味不明な単語をノートにメモするのがやっとだった。。

血液検査の結果、この抗シトルリン化ベプチド抗体の数値が高いので、
小児リウマチを含む膠原病である可能性が極めて高いと。
小児リウマチだけでなく、
自分の免疫が自分を攻撃する病気はたくさん種類がある。

この免疫が自分を攻撃する病気を総じて自己免疫疾患とか膠原病とか呼ぶらしい。
厳密には違いはあるけど、その違いはあまり大切ではなく、
その自分の免疫がどこを攻撃するか、どんな症状が出るかで、
病名が違うらしい。

愛娘の場合、間接の痛む場所が時期によって、移動していることから小児リウマチよりはシェーグレン症候群の可能性の方が高い。

シェーグレン症候群とは??と思ったが、先生の話は続く。

小児リウマチは関節破壊を伴う。
1ヶ所ずつ集中的に破壊していく病気。

シェーグレン症候群は大人は唾液線と涙腺を攻撃する病気、子供の場合は関節痛を伴う症例がある。

他にも全身性リトマストーデスだったり、バセドー病、橋本病など膠原病には種類がある。

詳しく検査の必要があるので、
1週間検査入院が必要。

検査はレントゲン、MRI、エコー検査を初め、口の中を切って細胞を見る検査などを行う予定です。

そして、膠原病は現代医学では治せない、免疫が自分を攻撃する原因が解明されていない。治療方法はなく、進行を止めることが処方である。長年を通じて少しずつ侵されていく。

たぶんそんなことを先生は言っていた。
病気でないことを信じている気持ちはその言葉を選びながら丁寧に残酷な説明をする先生を見ながら、少しずつ消えていった。

まだ個室で健気に遊ぶ愛娘を見ると、
一滴の涙が自然とこぼれた。

そして、その後、
愛娘と共に検査入院の説明を受けながら、
看護師さんと入院の病室へ案内されていった。

整形外科通院→病院検査→小児リウマチ疑い

2013年11月に自転車の練習で股関節の不調を訴え、
整形外科に通院。

エコーで炎症を認めるも、
2ヶ月間、週に数回通い、改善傾向だった。

しかし、2014年になった頃、
再び兆しが出始める。

夜中寝ているときに突然泣く様になり、
最初は成長ともになくなっていた、
夜泣きが再び始まったと思っていたが、
数日もすると様子が違うことに気づく。

毎晩手首の痛みを訴え、泣く。

1週間もすると、
朝起きてからも痛みが続く様になり、
2週間すると手首だけでなく、肘、膝裏、足首も痛み出した。

その頃になると保育園生活にも支障をきたし、
整形外科の勧めで総合病院へ行くことにした。

総合病院にてレントゲン、血液検査の結果、
小児リウマチの疑いとのこと。
この時、リウマチは聞いた事があるがどんな病気かは全く理解していなかった。

総合病名から小児リウマチ専門の先生がいるということで、
別の大学病院をさらに紹介される。

具体的な病名が出ると、
ネットで検索することができる様になり、
検索を進めると次第に相当危険な症状があることを知る。

自分の免疫が自分を攻撃する。
間接の軟骨が破壊されていき、腕足が曲がらない、
指が変形するなど。。

ここまで基本妻が対応してくれたが、
さすがに心配になり、休んで一緒に病院へ行くことにした。

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ある日子供が膠原病を発症したので、ブログを始めました。

それは2013年11月の出来事。

補助輪無しで自転車に乗れる様に2時間ほど練習をして、100m以上に足をつかずに乗ることができた。

愛娘の成長を共に喜び、家に帰ったあとから話は始まった。

その時、愛娘は5歳10カ月。

これから長い戦いになるだろうと思う。

膠原病患者となった愛娘との闘病生活をブログで記録し、過去、現在、未来の同じ境遇の方と接点を持つきっかけにしたい。

そして、その出会いを通じて、日常気を付ける事、こらから起こるであろうことについて情報交換をしたい。

最終ゴールは愛娘の完治であり、不治の病ではなく、治療できる病気とするべく、医学が発展する様に促進していきたい。

だから今日ブログを始めました。