月別アーカイブ: 2014年3月

菊池桃子さんもシェーグレン症候群

菊池桃子さんも愛娘と同じシェーグレン症候群なんですね。

しかもお子様は脳梗塞で半身不随とか。

これは強靭な精神力でなければ、
耐えられない環境ですね。
尊敬します。

急に親近感が湧き、応援したくなりました。
NPOの理事となり活動しているとのこと。

自分も身の回りのことだけに四苦八苦するのではなく、
世の中の膠原病で苦しんでいる人を助けるべく、何か行動を起こしたいものです。

とりあえず膠原病友の会の資料をもう一度みようと思います。
今日はそれだけ!

家族の膠原病と戦う為の心構え[再び小児リウマチ疑い]

退院して半月。
半月振りの通院。

相変わらず朝は、
両手の人差し指、中指、薬指の指の根元と左手首、あと左足膝裏の痛みがあるらしく、
朝は着替え、徒歩が自力で行うのが難しい状態は続いているが、
昼以降は凄く元気で全く症状はない。

その意味では解熱鎮痛薬がある程度効果があるのだろうと思う。

今回の通院は一緒に行けなかったが、
妻の話によると、
再び小児リウマチの疑いの診断を受けた。

先日の入院で、
シェーグレン症候群の診断が出て、
最悪を回避したと思ったが、
そんなに甘くはないらしい。
おおお、あの関節破壊の恐怖が再び!と思うと恐ろしいところ。。

ただ、疑いなので、
希望を持って次回通院時の診断結果を待とうと思う。

愛娘の場合、移動性の関節炎+シェーグレン症候群の症状と口唇生検で細胞からシェーグレン症候群特有の炎症が見つかり、シェーグレンの診断だったが、
複数箇所が炎症による関節痛を起こしているが、
そのうちの一部(人差し指の根元、右膝裏)が移動性ではなく、
継続的な関節炎であり、
今回ここの箇所が小児リウマチの疑いとなった。

ただ、だからといってできることが限られているのが、
治療方法が無い膠原病の辛いところ。

とにかく規則正しい生活、栄養のある食事、楽しい日常を意識して、愛娘が幸せと感じることのできる生活を目指したい。

発病以来、
さすがに家族が揺れているが、
幸せ、楽しいを意識していきたい。

特に妻の落ち込みをフォローしなけらば、この家族の楽しい!は実現しない。

発病当初、自分も落ち込んだが、
時間の経過と共に自分はある程度落ち着きを取り戻し始めていると感じている。

職場の上司、区役所の保健師の先生、保育園の先生などに感謝したい。

自分が余裕を持って、
家族の全てを受け入れる心の準備を365日24時間作っておく事が、
一家の大黒柱としての役割だと今は感じている。

仕事帰り、家の扉を開ける時に、
毎回上記の役割を唱えて、マインドセットするのは非常に有効で、
妻のイライラ含む感情の揺れ、ネガティブな発言を冷静に見て、
受け止める事ができる様になってきている。

少し前までは、
言い返して確実に喧嘩していた(汗)

その意味では今回の発病を経て、
父親が家族に貢献することの1つであるはずの「受け止める」的な人間的な器の部分が今まで足りてなかったなとホントに痛感している。

それが家庭の空気、雰囲気を作っていて、子供にとって良くない場面やストレスがたくさんあった。
発病以来、色んな膠原病の方のブログを読んだが、
発病された方のうち一定割合は、
いじめ、離婚、失恋、仕事、家庭環境などストレスが引き金になっている様に思う。

その意味で自分の心の余裕が足りておらず、
妻の不満、ストレスを受け止めきれていなかった事が、
愛娘発病の一因だと反省している。

それはネガティブな意味ではなく、
そこに気付けた事で確実に家族の未来を変えられると思うし、
変える為の言動と行動が今自分にできる全てであると思う。

自分が選んだ妻、自分の子供。

全ては自分が決めたこと。
自分の人生にとって、大切な大切な宝物。
世界にたった1つの宝物。

もっと早く気付けていればと思うことも多々あったが、
今は前を向いてベストを尽くす事にしたい。

過去と相手は変えられないが、
未来と自分は変えられる。

誰かが言ってた格言を思い出した。

発病から1ヶ月。
ようやく闘病のスタートラインに立てた気がする。